サイバー解放運動資料 「全国連の糾弾闘争宣言」

インターネットでの差別扇動を許すな!

「全国連の糾弾闘争宣言」
(1)部落解放同盟国連合会(以下、全国連と略)は、「2ちゃんねる」をはじめとした、インターネット上での差別扇動を徹底糾弾する。
 今、ここに登場している差別者どもによって、何がおこなわれているのか。部落解放運動にたいする敵視と反感をむき出しにした、部落差別そのものの大規模な扇動である。しかも最近では、「部落探訪」「貧民窟観光」スレッドなど、差別され苦しんでいる部落民の現実や、生きている姿を「のぞき」の対象とし、部落差別をもてあそぶものまでが作られている。その一つひとつが、部落民にとっては、見るに忍びない、堪え難いものばかりだ。
 差別によって、どれだけ多くの部落民の涙が流され、血が流されていることか。また、命が奪われていることか。本来ならば、こんな非人間的な部落差別にたいして、それをなくすために闘うのが人間として当然の行為ではないのか。しかし、部落差別に苦悶しながら必死で生きている部落民の姿が、揶揄の対象、「のぞき」の対象とされているのだ。
 しかも、そんな差別扇動が、「言論の自由」の名のもとに、過去に例をみない規模で行われている。何というおぞましい現実だ。全国連は、これを断じて許さない。徹底的に糾弾し、一掃する。

(2)全国連による糾弾とは、スレッドの削除や議論を規制しろという要求ではない。
 この「2ちゃんねる」上でのひとつひとつの差別的主張を、そのひとつひとつを徹底的に批判し、部落差別と部落解放運動にかんする科学的で、正しい考え方を確立するたたかいである。だからこそ、われわれは、削除することには反対する。むしろ、どんどん、言いたいことを主張すべきであり、公然と論争すべきなのである。
 「2ちゃんねる」上でも問題にされているように、部落解放同盟(本部派)は、スレッドの削除や、議論の規制の要求に終始している。なんとも情けない現実である。だがこの本部派の姿が、部落解放運動を代表するものなどではない。たしかに、「2ちゃんねる」上には、見るに耐えない主張があふれている。しかし、この見るに耐えない主張は、部落民と部落解放運動じしんの手で糾され、正しい主張によって駆逐され、置き換えられるべきではないのか。これが全国水平社いらいの部落解放運動の原点だったはずである。
 われわれは、「2ちゃんねる」上での数々の差別的主張が、いかにデタラメなのか、いかに非人間的な行為なのかを、すべての人々の注視のなかで、公然と、ひとつひとつていねいに、徹底的に暴き、そして裁き、二度と再び人々の前に登場することができないまでに、木っ端微塵に批判しつくすであろう。これが全国連による糾弾闘争のたたかい方である。
 ただし、「部落民は死ね」などの、非論理的で、自覚的な差別扇動を行なう者にたいする態度は別である。その主張じしんが、きわめて卑劣な、陰険な暴力であり、われわれは、そのような輩にたいしては、草の根をわけても捜し出し、かならずや、その卑劣な行為にふさわしい責任をとらせるであろう。

(3)われわれは、以上の立場から、「2ちゃんねる」の主催者である「ひろゆき」氏に申し入れる。
 「人権版」を勝手に閉鎖したり、そこでの発言を削除することはやめていただきたい。これまで、このサイト上で、どれほどの害毒が流されてきたことか。この害毒は、隠されるのではなく、すべての人々の目の前で洗い流され、焼きつくされなくてはならないのだ。だからこそ、その場を提供してきた者の責任において、最後までつきあっていただかなくてはならないのである。
 部落差別が当然だと思っている者も、部落解放運動をやめろと思っているものも、何の遠慮も必要ない、どんどん出てくればいい。この場で勝負しようではないか。
 これまでの過去ログを見ていると、解放同盟の関係者、元活動家と思われる人々、真面目に部落差別の撤廃を考える人々が、論戦を挑み、激しく弾劾している。どれほどの歯軋りする思い、悔しい思いをしてきたことか。こういう人々も何の遠慮も必要ない、どんどん参加し、差別主義者と徹底的にやりあい、彼らを完膚なきまでに論破しつくしてやろうではないか。
 全国連は、ここに、「2ちゃんねる」上での差別扇動にたいする糾弾闘争にたちあがる宣言を発するとともに、このたたかいへの部落大衆、労働者、市民の参加を心から呼び掛けるものである。